R.6道の島古道再生事業
R.6道の島古道再生事業
(別紙1)
団体名 特定非営利活動法人島未来創研社
事 業 実 績 書
事業名 「道の島の歴史」を観光コースにする事業
事業の内容
実施期間,実施地域,具体的な実施項目・内容を記入してください。 実施期間 令和6年8月下旬から令和7年2月
実施地域:奄美市笠利町赤木名・手花部津代地域
実施項目・内容
●古道を主に草刈りで復活させます。
●「道の島の歴史」ガイドのマニュアルを作ります。
●お試しガイドの実施とマニュアルブラッシュアップ
●販促チラシの制作
事業の経過
できるだけ実施月日の順に,事業・活動の経過が分かるように箇条書きで記入してください。 前年度から有志で始めた事業は、枯れ松の倒木と竹、雑草の繁茂により困難を極め 「紡ぐきょらの郷」事業に採択され 一気にガイドマニュアル作成とガイド養成とその組織の設立まで進んだ。
細かい経緯は、担当者を決め写真付きのレポートを作成してあるので参照されてください。
当然、考古学は素人の集まりなので完成形には至りませんが20年近い活動による知見とそもそもの目的が地域の人に取り組みやすい歴史観光が目的のため地域と共に成長できるように専門家のアドバイスを受けて完成度を高めていきます。
事業実施による効果
事業を実施した結果,得られた効果・成果を記入してください。 ・津代口 ー 赤木名口線の 古道再生
・赤木名又ー万歳峠線の 古道再生
・崩落個所のバイパス
・万歳峠口の不法投棄ゴミの回収
・倒木(松枯れ病の流行時)の排除 多数
によって 歩道として使用可能となった
・万歳峠口の駐車場予定地(旧国道)の整備
利用者の駐車場予定地にめどがついた
歴史観光コースとするために
・受付フォームの作成
・参加時の注意事項の策定
・ツアー保険の調査、加入法の確定
・ガイド資料の収集と手引き資料の作成
・ガイドマニュアル作成
・インバウンド対応英訳版の作成
・コースのお試し歩き・ガイド練習
モニターツアーの準備ができた
・道の島古道協議会(任意団体)の設立
コースの維持管理と歴史観光ガイド発展の体制の基礎ができた
以上 奄美市への報告書(様式)
作業経過
『津代の古道プロジェクト』発足経緯と活動報告 (鮎川)
奄美市笠利町の手花部 津代には昭和46年9月1日に奄美市の指定文化財となった「津代の古戦場」をはじめ、山中にはいくつもの近世古墓がある。県道が出来る前に地元民が利用していた山中にある手花部と赤木名をつなぐ古道は、『黒糖の百貫樽を通した』などとも伝わる。藩政期には、津代港が黒糖の積み出し港・風待ちの港として栄えていたとも伝わり、さらに古くは、中世城郭の跡もあるのではないか、赤木名城ともつながりがあるのではないかとも推察される、文化が重畳した重要な場所である。
かつて薩摩藩の黒糖収奪は苛斂誅求をきわめた。黒糖は日本近代化の原資となり礎となった非常に価値のあるものだった。そんな藩政期を生きぬき、埋葬された先人を顕彰する慰霊祭、「水花香」が、手花部集落出身の故藤井勇夫や集落在住の高井直人、名瀬在住の薗博明、森本眞一郎ら島の有志達により薩摩侵攻の旧暦3月7日に毎年執り行われてきた。
また地元の考古学者であり、歴史資料民俗館の館長であった中山清美が2004年に発足した、笠利町を中心に活動する市民グループ「奄美文化財サポーターDEI DEI DEI」(以下DEIと表記)も「水花香」に参加,協力していた。
2023年度のDEI総会では慰霊祭参加のみならず、「奄美の中世』や「道の島の歴史」の理解を深めるには欠かせないシマ遺産があることから津代の古道を歩けるようにしたいと決定されたのち、DEI事務局の鮎川が、かねてより古道を守り、管理していた島未来創研社の高井直人(海族塾)にコンタクトを取り、2023年度はDEI会員有志(鮎川、水間、川上、保岡)および自然ガイドの伊集院、高井の6名が集まり、シマ遺産の伐採や整備、保全、そして自らが島の文化を知り、学ぶため、そして奄美の豊かな環境文化や島民それぞれの知識財産を活かせるようなガイド養成目的に『津代の古道プロジェクト』を結成した。
2023年度の写真(ごく一部)は以下の通り。ハブを警戒して寒くなってから着手した。約10年手が入らない古道のありさまはすさまじかったが大量の倒木をチェーンソーで切り倒し、雑草に覆われた尾根道を人の力で次々と復活させていった。
自分より背丈のあるガヤを薙ぎ払い、ときには、ヌカカにかまれてひどい目をみたり、
ときにはハゼノキにかぶれ、目が半分しか開かないほどに顔が腫れ上がったメンバーもいた。が、不幸中の幸いでハブは未だに出ていない。
いよいよ津代口から万歳峠・赤木名口に向かう三叉路まで到達。(2024年1月29日)万歳峠に行くルートはあまりにも藪や倒木が塞ぎわからないので来年度に持ち越し。そんなハードな難所がたくさんあるが、3/24日、10年ぶりに津代〜赤木名(北高グラウンド)間が粗刈りではあるが無時に開通。ためしに鮎川が写真を撮りながらのんびり歩くと片道20分程度。距離は670mほどか。
ガイドしながらでは片道40分以上かかると推定。
2024年からは、4名のDEI会員は、高井が作業費なしには不可能と判断し奄美市の「紡ぐきょら郷」の事業に応募するためNPO法人「島未来創研社」にも入会。今後はこちらのNPOの活動の一環として、地域のシマ遺産のために伐採・整備活動に励む。年月が経ち倒木が腐り脆くなっているので人力作業でも可能になる。
倒木除去のためのチェーンソーは不可欠、草刈り機の刃や、燃料、チェーンソーのオイル、高枝ノコギリ、枝打ち用の鉈や剪定鋏なども必要。
今年度は、全員揃わなくても、各自が行ける日にちで作業。
前回の古道復活作業に協力し土地勘のある高井がルートを開拓し、他のメンバー
で歩けるように草刈りをしていく。これは荒切りで観光ルートにするためにもう一度丁寧な草刈りと刈り取った雑木の片づけなどに各人が作業したため同じ道を3回以上は、整備したことになる。その後も歩くたびに気付き枝葉を切るものである。
入口を切り拓き進むと、不法投棄のゴミばかりで笠利支所の応援を貰う。万歳峠入口は下草は大したことはないが、竹の繁茂が全道程の数か所でひどい。
万歳峠から高台急斜面に立ち笠利湾を望む。山中の三叉路から万歳峠からまでは200mあまりの短い距離ではあるが、アップダウンがあり難所がある。崩落個所が多数あり、そこの移動には補助ロープが必須。21日の作業はロープ掛けや崩れた道の整地に奮闘。この写真の景色が美しい高台の平場部分をす拡げて休憩所にしようとの話もでた。
(このポイントはとにかくハゼにかぶれまくって辛い。こまめな伐採が必要)
【鮎川の独り言】
喜瀬のタナグスク(宮田城)にノロ墓調査で入ったとき段々になった部分が次々斜面に現れたり、石塁や石の工作物(年代不明)があり、先人の生きた証拠がいまだに残されている生々しさに圧倒されましたが、今回の津代の古道も、伐採していると、草に覆われてはいますが道は未だに消えていない様子に感動しました。
自分は2022年から本格的に近世古墓を探し求め、夏場も脱水とハブに怯えながら鬱蒼とした藪や砂丘や崖に孤独に入り込んでいました。そんな場所に地籍調査の桃色テープや杭を見つけると、『ああ先達よ!』と独り言ちて嬉しくなりましたが、それに近い感覚があります。この感覚は古道整備のメンバーはよくわかるんじゃないかな。
4 今後の方向性と課題(高井)
・歴史的文化遺産としての持続可能性(奄美市指定の文化遺産?)
・今後の古道保全のあり方について(予算?)
5 おわりに
森で暮らしていた猿が地に降りて野原で歩み人類の祖先が動き始めた。道具を作り社会が発展する。今を生きる私たちが少し昔の祖先の暮らしを思い描いてみたい。この古道は自動車がない時代には人々の生活の基になる便利な道でした。勾配が緩やかで曲がりの多い道であった。体力が強くない人々も時間はかかるけど自力で歩める道であった。隣りの集落へつながる道でした。しかし、車社会では短時間で移動できる直線的な道路が求められる。この道は利用されなくなり草木に覆われてしまった。
歴史探訪が好きな人々が古道を復活した。旅人は案内人の話を聞いて景色を眺め往時を思い描いてみる。旅人は思いついたことを案内人に尋ねる。楽しみながら歴史を体感する歩みになる。道筋の手がかりから自分で考える能動的な歴史探訪となる。学校で習う歴史を暗記して点数を稼ぐのではなく案内人と旅仲間と語り合い考えて話す心が躍る時間になる。観て聴いて語って歴史散歩を始めましょう。
改めて古道復活に尽力された方々に感謝を申し上げます。現代の生活道路ではないので人が寄り道しないと草木に埋もれてしまう。この道に地元の人々や観光客が足を踏み入れ楽しみ、その輪が広がり繋がり発展していくように古道復活団は呼びかけを継続します。人々が往来すれば踏まれる道は固まる。お客様来訪下さり有難うございます。津代赤木名古道にいもりんしょれよお。
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