島の未来のための活動 支援者募集

代表談論

代表談論

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はじめに
このページは、この法人の活動の根底に流れる代表である私の考えを理解していただくために掲載します。「シマのいぶき」に掲載分と重複する項目もあります。あわせ呼んでいただくと代表の研究活動や島のベクトルも見えてくると思います。

2024は能動的に動く年

世界は、戦争に地震、中国経済の失速による世界恐慌不安など私達を取り巻く環境は、厳しいニュースばかりです。
被害者の皆様にお悔やみを申し上げます。

思われることは、「一日も早い復興のために何ができるか」
そして 無力感・・・ 東日本大震災の時もそうでしたが、政府が介入してきて安心という空気感。それでは復興は加速しないと思う。
つまるところ、自然との向き合い方まで問われることであり 国民の総力戦で捉えるべき事態と思います。

NPOの参加者は、「〇〇のために」という心の持ち主達と考えるとNPO連盟、サミットみたいな事で 貢献できることがあるのではないかと思える。
 
とにかく私達は、国に依存するのではなく、地域の暮らしを自ら守るように頑張るべきと思います。もう 待つのはやめましょう。民間でできることは、どんどん仲間で前に進めましょう。地球と後の世代のために。日本は、必ず変われます。

2020に向けて奄美も動こう

2020東京五輪にむけて
2013.12 指宿の大型日本旅館が日本旅館では始めて日本政府観光局(JNTO)と
ともにフランスカンヌで開催される世界最大規模の富裕層向け旅行商談会の国際旅行見本市(ILTM)に出展、2020年を見据えて動き出した。
この日本旅館は、南九州初の上質な長期滞在リゾート施設を目指すとともに世界へマーケットの拡大を図っている。
また、地域内にヨットハーバーができることで世界の富裕層のクルーザーによる来訪も期待しているようだ。
東京五輪は、ベイサイドエリアに宿泊施設や一部競技施設もありマリーナからのアクセスも良くなるものと考えられ、クルーザーでの来日が期待できるため世界へ発信する大きなチャンスと捉えたことが推察できる。
このことは、世界自然遺産に認定されているであろう奄美にとっても世界へ
道の島の海の駅を売り込むチャンスと考えられる。
世界の大型クルーズ船が寄港する今日、世界の富裕層のクルーザーが寄港する港町もまた目指すべき奄美ビジョンと考えられる。
島の歴史を活かした街づくりは、世界的な価値のあるものになるはずである。
遣唐使の時代以前からの航海の中継地、南蛮交易、石見銀山の銀の交易、琉球貿易、環太平洋貿易の中継地としての奄美の位置づけを明確にしていくことと博物館の更なる規模と内容の充実は、100年の計ではないか。
さて、オリンピックヨット競技の中にウィンドサーフィンがある。五輪種目でありながら日本の海洋環境のためか全国的に郡大会というものが無い。
この地域から郡大会の開催をはじめ、県大会、国体へと進めば、五輪選手も夢ではない。
また冬場の合宿地として脚光を浴びることは間違いない。若者の移住も期待できる。かつて琉球大学にできたウィンドサーフィンクラブがいい例である。
この種目の郡大会はそれほど難しいものではない。かつて、奄美において大きな大会はいくつも開催されてきた。わずかに各島の組織を改編し郡体協に加盟していただきわずかな大会予算を着けて頂くだけで可能。
東京五輪の経済的波及効果は待っていても期待はうすく、この機に波及する道筋を築きたいものである。
あと6年、準備をするのに長くは無い。
おもてなしのスキルアップも必要で、伝統に根ざしたアマミアンスタイルの創造も良い。

この国の形

今この国の形が崩壊していくのが見えている。そう感じている人は少なからずいる。
つまり、明るい未来が描けないのである。莫大な借金の行方が誰もが想定できずに対処療法の政策しか示されないからである。
経済が縮小していく中で、企業は利益確保に懸命である。多くの国民がぎりぎりのところでかろうじて持ちこたえているように見える。それは、大戦並みの自殺による死者の数や生活保護世帯の数、高齢世帯数、などから容易に想像できる。国民はバカではない。
 自殺者の多くが、起業した,つまりこの国のエンジンだった人たちである。活力が失われるのは当然である。その影響は、子供たち世代に及び、また、国や社会の余力の無さは、高齢者を絶望に追い込んでいるのである。

道の島の視座と郷土史にこそ

今東南アジアの発展が目覚しい。この国々は私たちの群島と同じ道の島であった。日本とこの地域の歴史を大まかに見ると世界の強国が衝突を繰り返してきた地域であり今日もその延長にあることが分かる。
その発展を突き進むとかつて日本が歩んだ道を少なからずたどる。発展途上国の全てに言えるかもしれない。
先進国(過去においては列強)の経済進出(植民地化)を押し止め自立発展への道は、日本の明治維新の頃や第2次大戦後に急速に発展してきたことと相似しており、当時の日本の努力や苦悩が理解されると思う。
過日、国営放送で取り上げていたが、「日露戦争は、第零時世界大戦と呼ぶべき」ということが明かにされつつあることもこの地域が、世界の強国に翻弄されてきた証である。
有色人種を進化の途中と信じて売買、奴隷にしていた欧米に侵略されずその地位を向上させ続けた日本の姿が見えてくることと思う。
マレーシアのマハディール元首相のようにかつての急速に発展した停滞するまでの日本を評価する人たちが一般人の中にも増えてくると思う。そこに新たな友好関係と経済圏が築けると期待できる。
沖縄県が東南アジアへ市場を求め既に進出していることは、さすが貿易立国を国是としていた琉球である。見習いたい。本地域の視座は「道の島」に立ち返るべきと思う。
さらに当時の日本の急速な発展の原動力を考えてみると、時の政府、国民の危機感と努力はもとより、総じて日本の知的レベルの高さ、武士の臭いが残る指導者層の胆力、技術者層の知識の吸収力と応用力を抜きには考えられない。今よりもずっと少ない人口の中から輩出された俊英たちの一途な、懸命な活躍の賜物である。
この知識の吸収力は、遠く遣唐使に見るようにこの国は有史以来、常に一流国の知識や技術を学び続け吸収力が国民性になっているのではないかと思う。日本の発展は、偶然ではなく弛まぬ努力の上に成り立っていたのである。
島でもかつては、「内地に追いつくために子に学問をさせなさい」と言われていた事を思い出す。これからも地域の発展のために学問の振興、大学の誘致を図るべきであることが分かる。引退した奄美出身者や奄美好きの教授を募って「浜学校」のようにできないかとさえ思う。
ところで「失われた20年」といわれる政治には疲れるのだが、追いつき追い越した後、日本は目標を失ったように停滞している。歴史に誇りを持って努力を続け独自の理想社会を示す立場になったことに自信を持って進む成熟期を迎えたと捉えたい。
国が成熟期ゆえに地方の役割が、藩政以来再び大きくなり地域興しや地域特産、地域文化が注目され地方の成熟こそが国の発展の原動力になる。地方分権は必然と言っても良い。人材の田舎返りが求められる。
繰り返しになるが、私達の地域においては、経済的にも「道の島」の視座でこれからのビジョンを描くことが理にかなっていると思う。以前から言われているように島の文化力を研き伸ばし創造し、発信する時代ということである。交易に資するほどに。
ところで、そのためにも私たちは欧米の圧力をはねのけた明治維新の頃を矜持がもてるほど理解しているのだろうか。いや、第2次大戦後の戦勝国指導の元の教育はそのようなことを許していない。
先に述べた俊英たちの偉人伝が教育に取り上げられなくなったのはいつからか、その目的と結果は総括されたか分からない。
薩摩の侵攻しかり史実は正しく受け継がれていくべきである。
今日の混迷の遠因とも思える。歴史は、いつも戦勝国のものであったことも自身に充てて考える必要がある。
歴史の激動と外国の圧力は、船が最大の交通手段であったためこの地域にも痕跡が残っており、世界史に通じる「道の島」が垣間見える。
帆船の大航海時代とその後の産業革命を経て蒸気船の発明と共に再びやってきた帝国主義の西欧列強と遅れて来たアメリカのその痕跡を明かにする郷土史編年は、島の歴史を自分達のものにすることであり、世界情勢の変化と共に歩んだ日本の歴史を浮き彫りにする。
「道の島史」は、発展途上国にロードマップを示すことでもあると思う。
とすればつまりは、国益にもかなう。
私たちの島は世界にむけて発信できる貴重な情報を有しており、ビジョンの1つとして「世界交易史研究所」の創設を核とした展開を島の活性化に提案したい。
 周辺国の発展は、脱西欧型の日本的、島的リゾート地としての可能性が残されていることと既に述べたように国益の絡み合う辺境の地域であることを生かす上でも重要な施策と考えている。
 人口の減少に歯止めがかからない。子孫のために明るい未来を築きたいものである。

集落に思う・コンセプトコミュニティの時代

                       2006.12.5
過日、限界集落について報道されていた。私的にはもっと早く取り上げてほしかった奄美においても重要な問題であった。集落が消滅しそうなぎりぎりの状態を言い、特に小泉政権の都市重視の5年間で多くの集落が消えてさらに2000以上が限界集落という。弱肉強食と言うが私は既に弱肉定食の状況に思う。米型資本主義の宿命であろう。集落の悲鳴は最近のことではなく放置してきた政治の責任は大きい。
結論から言えば田舎あっての都会、バランスが取れた姿こそ美しい国、日本である。集落こそがこれからの時代の鍵を握ると考える。
また私たちの奄美においてこそシマのシステム崩壊は重い歴史を持つのであるがここでは集落の直面する問題を世に問いたい。
まず、集落とは人が集まり落ち着いた場所、命を支えあう集まりであったはずである。今では,様々な職があり志向の多様化が許されおよそ安心して暮らせる時代となって集落内の支え合いを必要としない(機能しない)。むしろ仲間同士の行事が優先する。支え合いは、仕事・集落・趣味に大別されその意味を薄めたように思う。つまり場所の集落から「家」を離れて寄り集まる職場や趣味などの仲間世界、バーチャルも含め時間限定された、あるコンセプトに基づいたコミュニティの時代となっている。そのために集落の機能を維持するのが困難になっている。さらに行事・イベントの止まる事を知らないような増大はハレの時を増やし続けハレの時空さえも選べるようになりその大切さや支え合いの結晶である事を置き去りにしたこともそれに拍車をかける。
若者人口の減少も相まって地域社会システムの維持に悩んでいる人が多いと思う。
ついでに言えばマツリは知恵の結晶であったが意味の伝承が途絶え、形だけのマツリに実感を持って受け継ぐのが難しい。また行事に追われ仕事に追われ個人の時間を奪われ田舎の時間的豊かさをも失っていないか。大事なものを残しつつ適当な奉仕時間と無理のない継続可能なやり方、仕組みづくりが望まれる。
借金大国、田舎軽視の政治はさらにシマ離れを起こし、限界集落に残された者にはかつてのユイ仕事に追われ一日三時間だけ自分の仕事ができれば富者になれるといわれた時代に戻る可能性すらある。
また集落をその能力で考えると元気な集落は豊年を祈願するなどのマツリゴトの他に子供の誕生を祝う、子供の成長を見守る、青年の成長に手を差し伸べる、壮年の飛躍を応援する、失敗したものを受け入れる、病んでいるものを癒す、亡くなった人を弔う等集団の力・共同体の力というものがありそれはまさしく母の優しさ、愛情に似ている。かつてはそれが集落内にいわゆる「無形の力」として感じられたと思う。いま多くの集落は「限界集落」一歩手前の病んでいるかもしくは老齢期の状態に感じる。戸数はあっても都会的になっていたり高齢化が進んでいたりする。やはり根本的に考え直すときである。
現代の集落の過疎化すなわち都市への人口集中はもともと高度成長の働き手を求めた集団就職が大きな要因である。経済的に持続可能な安定期を創造すべき今日、ある程度の人口が田舎に戻るのは当然の流れであり、定年退職は一つのきっかけである。結果多くの問題が解決されるはずである。
彼らが納税し田舎の発展のために使われた地方交付税も自らの終の棲家のために使われてきたと思えば多少問題があるにしても全てが無駄とは思えないであろう。移住する人達には時代を創造する気概を期待したい。そう言えばおそらくその大部分を占める団塊の世代はこれまでも時代の先端を切り開いてきた。今度もまた豊かさを感じられる日本のライフスタイルのために田舎で活躍するだろう。本物の地方の時代を期待する所以である。
高度成長が目指した発展とはある意味、秩序の破壊でもあったわけで昨今の社会問題や事件の頻発する状況は当然とも言えるかもしれない。その意味からも、また経済成長の意味も解ってきた今日、地域の特性を考慮しつつ理念を持った地域社会システムの再構築が必要不可欠かつ急務である。
また私たちは本当に安全で安心なのだろうか。各地で起きる災害は他人事ではないこと、被災した場合、国の支援を待ち望む状況が続いたり充分な支援ではないことからもそれは保証されていないことを改めて認識すべきである。命の支え合いを考え直す時である。そしてそれは集落単位で取り組むほうが現実的で、環境問題への対策も含めてそのほうが効率的と考える。かつて大人とは自らの判断基準を持ち家庭の生活だけでなく地域社会に責任を担っていた。それは原始共産社会から続く強いものが弱いものを助ける精神に基づくものである。さらに自ら育てた穀物や野菜を食する時代でも確実に機能していた。
高度成長に伴う住民サービスの向上は地域への責任感を薄めたかもしれない。国の財政危機とは住民がいつまでも地域に対し無責任ではいられないということである。昔の残るシマにおいてこそ文明の波打ち際と言うべき集落を真剣に考えるべきなのである。
定住して発展してきた現在の文明は発展とともにその社会システムを対応させてきたがこれからは人間に合わせて都市やコミュニティとその社会システムを総合的にデザインする時代になったのではないか。人類の社会的進歩と捉え成し遂げたいものである。
前兆はすでに多くの人がユイの心の必要性を叫んでいる事にある。ユイ心論の復活である。そこに可能性を感じる。
地方への移住を促進し効率的集落自治を目指すとき、
一方でこの地を守り続けてきた人達にとってよそ者は破壊者かもしれない。ムラ社会のルールあるいは自然や景観を変えかねない。時間の流れ方をも揺さぶる。その集落たる所以の伝統に対する思い、理解度の相違からくる摩擦もある。既に集落の問題になっているところもあるだろう。集落と移住者のマッチングサービスもいずれ登場するだろう。
同様に集落はいかなる集落なのか自治の方向性いわゆるコンセプトを示す時がくる。
彼らは住み着いて行事などを通じ学び成長し地域社会を支える一員となる。一役を担いながら自己実現を図るべきと思う。その時そこは彼のかれ故の郷となる。第二の故郷を実感するに違いない。
生き残りをかけたコミュニティ間の競争はすでに始まっている。
すぐれたコンセプトと社会システムを持ったコミュニティの時代なのである

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